
週に三日、母がデイサービスから帰ってくる夕暮れ時。
「ありがとうございました」と付き添いの方にお礼を言う母の声が聞こえる。
玄関を開ける母の顔には、出かける前にはなかった微かな「活力」が宿っている。
外の空気に触れ、誰かと話し、笑い合う。
そんなささやかな刺激が、母の心の奥底に眠っていた生命力を、
静かに呼び起こしてくれるのだと思う。
今夜の食卓は、久しぶりに賑やかだった。
テレビの画面に流れる「孤独のグルメ」を見ながら、母がふいに冗談を言った。
私と家族は思わず顔を見合わせて吹き出し、家の中に明るい笑い声が弾ける。
その時の母は、確かに笑っていた。 何より、その瞳がイキイキと輝いていた。
普段の母は、深い無気力の中にいる。
「何の楽しみもない」とこぼし、これからの時間を楽しく過ごそうと提案するたびに、
「私はもう百歳だからいいの」と布団に潜り込んでしまう。
実際にはまだ八十二歳。けれど母の心の中では、それほどまでに長く、険しい道のりを歩んできたという感覚なのだろう。
それでも。 デイサービスから戻ったあとのわずかな時間だけは、彼女は「今」を生きる八十二歳の女性に戻る。
「今日は何か変わったことあった?」 そう尋ねると、母は少し照れくさそうに、けれど誇らしげに答える。 「いつもとおんなじ、みんなと一緒に過ごしただけ」と。
今日の記憶が言葉にならないもどかしさを抱えつつも表情は明るい。
その言葉の続きを聞きながら、私は思う。
布団に潜り込んでしまう母も、100歳だと強がる母も、すべては彼女の一部だ。
けれど、食卓を囲んで冗談を言い、瞳を輝かせるこの瞬間こそが、私たちが一番大切にしたい「真実」なのだと。
時間は限られているかもしれない。
でも、デイサービスが運んでくれたこの小さな「輝きの種」を、
私たちは家族で大切に育てていきたい。
母の瞳に灯る光が、明日もまた、少しでも長く続いてくれることを願いながら。